自分を変えられるのは自分だけ

自分を変えたい。自分があまり好きではない。不器用アラサー女子の奮闘記。

積み上げてきたものが何もない。

こんばんは。

今日は採用試験を受けてきました。
昨日復職を前向きに検討したところですが、その前に応募していたところでした。
自分でもわかるくらい準備不足だったので、ギリギリまで辞退するか悩んだのですが、動くことでなにかわかるかもと思いギリギリでも行きました。

結果は期待できませんが、久しぶりに朝に起きてでかけることができて気持ち良かったです。
やっぱり外を歩くと開放感があっていいですね。



寝れなかった夜に何気なく携帯を見ていて、MIIDASという転職サイトに惹かれました。



経歴や資格から、選考条件にマッチする企業を探してくれるという転職サイトです。
その場でおおよその年収も提示してくれ、転職先を探すというより診断に近い感覚でした。



入力していくうちに選考条件が合う企業や、自分の年収が変わっていきます。



迷っているわたしにとって突破口が、今まで考えていなかった転職先が見つかるのでは!
と期待を持って登録しました。



そして結果として出てきたのは、他の転職サイトとあまり変わりませんでした。


わかっていたことですが私の経歴では、転職市場はかなり厳しいということを痛感しました。



昔から学校の成績はいい方で、受験や仕事でもそこまで苦労することなく人並みにはできてきました。

年齢を重ねるごとに挫折することや、就活などで選ばれない現実にもぶち当たることも多くなり、多くのことを諦めてきました。

でもまだ他にもソツなくこなせることはあるので、次々と新しいことに目を向けてきました。


それ自体は悪いことではないと思うのですが、見事な器用貧乏になってしまいました。

やっぱり積み上げてきた経験が評価されるのは当然で、続けられることが才能であるとイチローも語っています。


何も続けてこなかった私は、徐々に選択肢が失われていることに気づかず、まだ何でもできる気で生きていました。
そうして使い捨てのようにものごとに当たっていたことに今頃になって気づきました。



一度目の休職のときに、母に言われたことがあります。

そうやって次々変えていくのはいいけど、あとあと何も残らなかったと後悔しないか?

と、

私の母は専業主婦は、結婚前一つの仕事を長く続けたタイプではなかったそうです。


言われたときは、反発心から「残すって何を?」と思っていました。


今現在も

何かを残したい。

とか

何か大きなことをなしとげたい。

みたいな欲はありません。



今思えば、母自身の後悔の言葉だったのかもしれません。



でも今はその言葉の意味が少しわかるような気がします。

いろいろと思い出して暗くなってしまったので、今日はここで終わりにします。


明日はポジティブにかけますように。